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zoom RSS ラジオ文芸館「Enak!(エナ)」 三崎亜記⇒追記『みぞれ』重松 清

<<   作成日時 : 2018/01/21 17:44   >>

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 昨日のラジオ文芸館は、久々途中眠らずに聞いた。「Enak!(エナ)」:三崎 亜記という人の作品。

 始まりは、駆け出しのイラストレーターが締め切りに追われ体調を崩したときに同じアパートの男に食事を作ってもらう、というもの。まあ、興味をそそるプロローグ。

 ところが、途中。「カゲナキモノ」という一節が耳に入る。

 へ?いま影がない人とかいった?まさかもしかして?

 小説の展開からして、恋愛ものかと思ったところに、まさかの、SFというかちんけな空想物になってきた。

 なんで、ここに「影のない人」という非科学的設定が必要なの?全然理解できず。影なき人達の発生理由、存在理由の設定もあやふやだし、一気に、この小説の対象がガキ相手に思え、文学的価値が低俗化してしまった。
 

 影なき人ではなく、現実に存在する「犯罪者」とか「精神を病んだ人」とか「不法滞在者」とか、文学者ならいっぱい引き出しがあるだろうに。それがないのがこの三崎亜紀というひとは、と僕の中で判断してしまった。

 文学としての表現力がないから「影なき人」というちんけな設定に走っているのだ。


 第一、作者は「影がない」という状態をどう認識しているのだろう。夕陽に照らされたとき、主人公の女性には影が延び、恋した人には影がない、ああ、どうしたものか、てんてん、てなレベルのものだ。
 影がないなんて、物理学上あり得ず、分子原子の存在も否定している。そんな科学への挑戦にどう対処しようとするのだろう。百歩譲って影がない人がいたとすれば、影とは、体全体の太陽の反対にできるものだけでなく、掌の裏とか腕の半分とか鼻の影とか鼻の孔も耳の中も影が存在する。そこにどうやって光が到達するというのだ。ボケた設定もいい加減にしろ。透明人間はなぜ服まで透明になるのだ、という答えがないに等しい。

 三崎亜紀というひと。こんな設定に走るのはてっきり女性か?と思ったら男だった。てことは、なよなよ野郎か?この想像は当たっているか?


 たいして理論の裏付けを考えもせず、手っ取り早く不思議な現象でストーリーを進めようとする小説家は最低ランクだと思う。リアルな文学表現を駆使して勝負しろ。それこそ真の文学だ。

1月27日追記
 次の週は、『みぞれ』作:重松 清。これはまた、リアリティあふれる作品。すべてが、世の中にいっぱいありそうな場面の数々。先週とは対照的な作品だった。

 重松清さんは、嘘の『影がない人』を超える展開をリアリティで表現できたか。残念ながら、アウト。もっと印象的な場面がほしい。でも、ほんとに一切の不思議な現象や無理がある設定、タイミングはない。「そんなことあり得んだろ」と突っ込む場面は一切なかった。すばらしい。こういう作品を読みたい、聞きたい。

 と、NHKに投稿しよう


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